「本能寺の変」の首謀者・明智光秀の娘! 細川ガラシャの「悲運」とは
日本史あやしい話12
■妻への仕返しに“浮気宣言”
ここで彼女にとって救いとなったのが、当時「バテレン」と呼ばれていたキリストの教えである。罪深き者さえ救われるというその教えに、お玉は虜となったのだ。
しかし、秀吉がバテレン追放令を発令したことで、お玉は信仰の自由を奪われてしまった。それでも信仰を諦めきれなかったお玉は、侍女のマリアを通じ、密かに洗礼を受けたのである。
もちろん、これを知った忠興が激怒したことはいうまでもない。信仰を捨てるよう迫るものの、彼女が頷くことはなかった。その頑なさに、忠興の方が折れざるを得なくなり、黙認することにしたのである。
ただし、その反動ともいうべきか、なんと、忠興が5人もの妾を持つと宣言したのだから、お玉はふたたび失望。またもや夫に裏切られたわけで、お玉は奈落の底に突き落とされたようなものであろう。
■お玉が死を決意した理由とは?
そして、とうとう悲惨な事件が起きてしまった。関ヶ原の戦いが始まろうとしていた時である。家康側に与する大名たちを寝返らせるため、石田三成が大坂にいる大名の妻や子供らを人質に取ろうとした。お玉が暮らす細川邸にも三成軍が押しかけてきて、人質になるよう迫ったのだ。
しかし、意志の固いお玉は断固拒否。そればかりか、夫の足手まといにならぬようにと、自らの意志で死を選んだのだ。
ただし、自害することは教えに反するため、家老・小笠原少斎に槍で胸を突かせた上、あらかじめ用意していた火薬に火をつけさせて、自身の遺骸すら残らぬようにしたとか。この妻・お玉の思いやりが果たして、夫・忠興に通じたかどうかわからないが、せめてものこと、その思いだけは感じ取っていて欲しかったと願うばかりである。
ちなみに、お玉の父・光秀は、領民に慕われていたところから、死後、神として祀られたという。その娘・お玉が恨んで祟り出たとの話は聞かないから、静かに天に召された…と考えるべきだろうか。
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